意識していた事は気付かないうちに無意識の世界にいっている
私たちは、目を閉じたままでもご飯を口に運ぶ事が出来る。目をつぶっている状態で持っているペンの先に物を置いた時、そこに物が乗った事が感覚として分かる事が出来る。
当然の事なのだが、意識のあるもとで実行したことしか感覚として感知することは出来ない。実は、「意識出来ること」よりも「無意識のまま脳が実行していること」の方がはるかに多い。
トイレにいきたくて、トイレに向かっていくことに意識があっても、トイレに向かう仮定で「歩く」という事を意識の元やっている事はない。
それは意識せずとも歩く行為が出来てしまうからだ。
体育の授業でも、先生に外周をしてこいと言われると、時計回りではなく反時計回りで走ることをしていたと思うが、これも無意識的にやっていたと思う。そこでなぜ反時計回りなんだ?という疑問を抱けば、意識的な感覚を得ることは出来たかもしれない。
私が思うに、意識的に感覚を得るためには、無意識にやっていることに疑問を持つ事でより、様々な事に目を向ける事が出来るのでは無いかと思う。無意識にしている事は初めは意識してやっていたが、気付かないうちに無意識に出来るようになってしまっているのである。
書き出すと無限に存在するのだろうが、今回は日常生活で無意識にやっていることをまとめてみる。
日常の無意識5選
1.文字を書く際
文字を書く際には、メモをとったり、記録をしたり、おもしろい事があったらそれをまとめたり、様々な事で文字を書く事があると思うが、ノートに文字を書く際に、ペンの握り方などは無意識にやっているに違いない。
これは生きて来た仮定で慣れが生じ、意識から無意識になっているからである。
利き手で文字を書いた際には、無意識だが、利き手ではない方で文字を書くとなると意識しないといけなくなる。これは意識してやってこなかったから、無意識に実行する事が出来ないからだろう。
2.テレビを見る際
リラックスしたり、気になる事があったりと、ふと瞬間にテレビをつける事は皆様あるでは無いだろうか。その際に、リモコンの使い方に意識はあるだろうか?
私自身はテレビを見る事に意識はあるが、リモコンにの使い方に意識がいった事はない。リモコンに意識がいく時というのは、本来ある場所に、「リモコンがない・テレビが新しくリモコンの使い方を理解していない」などがあるかもしれないが、それは一瞬の出来事であり、手元にリモコンがある際には、リモコンに意識がいっている事はないだろう。
3.ブログを書く際
今ブログを書いているが、ブログを書く事を意識してここまでやって来たが、今思ってみれば、ここに来るまで、意識していた事と言えば、「今日は何の記事を書こうかなー」と思ってここまで辿りついた。しかし、ブログを書く為に、パソコンに電源を付けて、ネットを立ち上げて、マウスを握り、ここをクリックしていう事を意識を元やってきたわけではない。
意識の元やっていたのは、今日はブログを書くということだけであった。
ブログを日常生活でやってない人も存在するけどね。
4.飲み物を飲む際
飲み物を飲む際に、意識していることと言えば、喉がかわいたからとか、体を温めたいからなどと思っているが、口にコップなどをもっていく事は意識していないことの方が多い。それを意識しないといけない時は、そこに何かしらの障害が発生した時ではないだろうか?
例えばコップ一杯に水が入っているとどうするだろうか?
こぼれないように飲もうとするのではないだろうか?
しかし、基本的には、ブログを書きながらでも意識することなく、飲み物を飲む事が出来る。今意識したが、気がつくとお茶を飲んでいたりする。
5.風呂に入る際
大半の人が1日を終えると風呂に入って汗を流す。この際に意識している事というのはどんなことだろうか?
基本的には、「早く汗を流したい、ゆっくりと湯船に浸かりたい」などではないだろうか?服を脱ぐということは無意識にやっている事の方が多い。意識しなくても出来るからだ。
しかし、私は、風呂に入る際、服を脱ぐという行為を意識的にやっていた時期があった。
それは、腕が骨折していた時である。その時は、腕に何かが触れるだけで痛い時期でもあり、服を脱ぐということには慎重に取り組んでいた時期があったが、ギプスが取れてからは、気にせずに服を脱ぎ、風呂に入っていた。
それ以降は、無意識の元にやっていたことになる。
最後に
人は生きて行く仮定で意識から無意識の世界と歩み始める。しかし、それは無意識で出来る環境が整っている場合であり、そこに障害が現れると、無意識でやっていたことも意識しないと出来なくなる日が来る。
今無意識でやっている事に意識をむけてみると色んな事が見えて来るかもしれない。